所長挨拶
善き学術には、正しい評価が宿る
私が望むことの一つは、本研究所の研究者が、「末永く、多くの人にインスピレーションを与え、引用され続ける研究を切り拓く」ことです。
善き学術は、やがて正しく評価される。
その評価は、様々な数値指標として可視化され、研究資金という形で還元され、さらに新たな挑戦を可能にする。
この好循環――スパイラルアップ――を繰り返すことで、研究はより高みへと昇っていく。
私が望むもう一つのことは、事務の負担を大幅に軽減することです。本研究所の全ての職員が余裕をもって本来の使命に集中できる環境を整えることは、組織の責務と言えます。
一方で、本研究所において忌むべきことがあります。それは、人を疲弊させること、時間を浪費させること、そして金銭を過度に重視することです。
私の責務は、学生を含むすべての構成員を、このような悪しき流れから守ることであると考えています。
近年、資金の多寡によって研究の価値や方向、さらには教育方針までを定めようとする風潮が強まっているように感じています。
個人の生き方としてそれを選ぶのは自由です。しかし、それを他者に同意させようとしたり、あたかも正義であるかのように掲げたりする姿勢には、私は危惧を覚えます。
いつの時代、どの場所にも、そのような人はいる。そのこと自体は驚くべきことではありません。
そこで、キリスト教の聖書に記された一つの物語を紹介します。 なお、私は死ねば浄土真宗本願寺派の流儀に従って葬られる人間です。
あるとき、律法学者と呼ばれる者たちが、姦淫の現行犯で捕らえた女を一人の教師の前に引き出した。彼らは声をそろえて言う。
「この女は律法により石打ちの刑に処せられるべき罪を犯した。あなたはどうするのか。」
彼らの意図は明白であった。教師が女をかばえば律法違反として告発する。沈黙すれば無慈悲であると非難する。
そのとき、教師はこう言った。
「あなたがたのうち、罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
私は、その教師の真似をするつもりは毛頭ありません。
しかし、資金を過度に誇る研究者に対して、個人の生き方を他者に同意させようとしたり、あたかも正義であるかのように掲げたりする研究者に対して、私は次の問いを投げかけたくなってしまうのです。
「あなたは、これまで獲得した研究資金の間接経費だけで、あなた自身と部下教員の給与、社会保障費、事務経費をすべて賄えるだろうか。」
実際にそれを成し遂げている巨人を、私は何名か存じ上げています。しかし興味深いことに、彼ら彼女らは決して資金の話を、自分の役職や地位の話を誇らしげにはしません。
それは、資金というものの重さと難しさを知っているからでしょう。
そして、その理解こそが、彼らを真の巨人たらしめているのだと、私は考えています。
とは言うものの、所長としての私は、当研究所の研究者が大きなプロジェクトを獲得するのは大歓迎。名誉ある大型プロジェクトに奮って挑むことに最大の支援を約束します。
令和8年4月
フロンティア材料研究所所長
原 亨 和